詩と地点が意味するもの
僕にとっての詩とは、言葉の限界に挑む試みです。それは次の二つに分かれます。一つは、「溢れ出る想いをどれだけ素直に表現できるか?」です。これは、次から次に湧き上がる感情を相手にします。もう一つは、「漠然とした意識を探求しどれだけ明快に表現できるか?」です。こちらは、人生の目的や生きる意味を求める理性を相手にします。この二つ(感情と理性)はごちゃまぜになることもあります。タイトル「詩と地点」の”詩”は、これら形を持たないもの(無限)を意味しています。次に、地点は地上の一ヶ所を指し示します。ここでの地上の一ヶ所とは僕自身の身体です。また、空間は時間と切り離して考えることはできません。つまり、タイトル「詩と地点」の”地点”は、僕が言葉を記すその刹那(有限)を意味しています。
恋愛〜失恋をきっかけに言葉(詩)が溢れる
オーストラリアから帰国後、久しぶりにノートを手に取りました。夢中になって書き続け、いつの間にか溜まっていた言葉(詩)のノートです。日付を見ると、平成15年8月5日から始まっています。
詩を書き始めたきっかけは失恋でした。
でも私は、その子に対してあまりにいい加減に接していたので、正確には「恋愛」と呼ぶことはできないと思います。従って「失恋」でもないのかも知れません。「一緒にいられなくなる」ということを現実として受け入れざるを得ない状況に追い込まれて、はじめて大切な人だと気がつきました。
見えない大きな力が私達を引き離していきます。必死に抵抗しましたが、余計に辛い思いをするだけでした。でも、ジッとしてはいられませんでした。結果お互いを傷つけ合い、終わりを迎えることになります。
深夜の表通りを息が切れるまで走りました。ワケもわからず大声をあげて叫びました。仕事の成果をあげることに空しさを感じました。しばらくの間、冷静に考えるということができませんでした。膨れて今にも破裂しそうな感情が私を支配していました、、、、
そしていつからか、ペンを握るようになっていたのです。
読み返すとそこには、、、無理に言い聞かせ奮い立っている自分がいます。根拠のない自信に満ち溢れている自分がいます。後悔でボロボロに涙を流している自分がいます。伝えたくても伝えることのできない無力な自分がいます。感覚が先行し言葉の壁にぶつかっている自分がいます。
たわいもないことも書いています。調子に乗って書きなぐってもいます。勘違いや思い込みもたくさん書いています。偉そうに他人の批判まで書いています。これら全て、ありのままの当時の私です。未熟です、弱い人間です。それは今でも変わりません。
いつか君に届くだろうか....?
同じ時代を生きる人間として、何かを感じていただけたなら本望です。